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旭川地方裁判所 昭和57年(わ)282号 判決 1985年3月20日

主文

被告人を懲役二年六月に処する。未決勾留日数中、右刑期に満つるまでの分を、その刑に算入する。本件公訴事実中殺人の点については、被告人は無罪。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和三一年四月大豆製品の製造販売等を業とする旭油脂株式会社に入社し、昭和五三年二月からは同社の営業副部長として原料用大豆の保管、出庫等の業務に従事していたものであるが、小野常夫と共謀のうえ、別紙一覧表記載のとおり、昭和五四年四月一三日から昭和五六年一〇月一六日までの間、前後四七回にわたり、右旭油脂株式会社のために前記業務上預り保管中の同社所有にかかる原料用大豆合計690.12トンを、北海道旭川市流通団地三条四丁目所在株式会社藤井において、その都度同社に対し、ほしいままに代金合計二八六二万六六〇〇円で売却してそれぞれ横領したものである。

(証拠の標目)《省略》

(法令の適用)《省略》

(一部無罪の理由)

第一  公訴事実

被告人に対する昭和五七年一〇月七日付起訴状記載の公訴事実は

「被告人は、昭和五六年一〇月三一日午前一時すぎころ、旭川市緑町二〇丁目日本通運株式会社旭川支店近文営業所一階当直室において、殺意をもつて、小野常夫(当時五五年)の頸部を所携のあいくち様刃物で一回突き刺し、よつて、そのころ、同所において、同人をして、左総頸動脈切断等により失血死させ、もつて、同人を殺害したものである。」

というのである。

第二  事件の発生及び被告人と被害者の関係

一第一二回公判調書中の証人小坂登の供述部分、堀米長男の司法巡査に対する供述調書、司法警察員作成の検証調書、司法警察員作成の昭和五六年一一月一四日付実況見分調書、司法警察員作成の同月一八日付写真撮影報告書、石橋宏作成の鑑定書及び旭川市長作成の昭和五七年八月一〇日付戸籍謄本によれば、昭和五六年一〇月三一日午前八時ころ、旭川市緑町二〇丁目所在の日本通運株式会社旭川支店近文営業所(以下「日通近文営業所」という)一階当直室において、同社の委託を受けて同社の運送業務を行つていた小野常夫(当時五五年)が頸部から多量の出血をして死亡しているのが同営業所の従業員らによつて発見され、直ちに捜査当局によつて殺人事件として捜査が開始されたこと、死体の下部及び周囲には多量の血液が付着し、右当直室内に無数の飛沫血痕が認められたほか、同当直室から右建物の裏口に至るまでの間の台所、作業員休憩所の床や裏口の引戸などに血痕が点々と付着していたこと、小野の死体には、その頸部に創口が開き、左内頸部静脈、総頸動脈、食道等を整鋭に穿刺、切断する長さ八センチメートル、刺入口から創底までの深さ約11.3センチメートルの刺切創一個が存するほか、その前額部などに挫創、表皮剥離などの数個の創傷が存し、その死因は、右刺力創からの出血による失血死であり、右刺力創は刃部の幅1.8センチメートル、刃部の長さ11.3センチメートル以上の鋭利な刃を持つ比較的薄刃の有尖片刃器によるものと考えられ、その死亡推定時刻は同月三〇日午後一一時ころから同月三一日午前六時ころまでの間であることが認められる(以下これを「本件殺人事件」という)。

二前記「証拠の標目」掲記の各証拠によれば、被告人は、昭和三一年四月前判示の旭油脂株式会社(以下「旭油脂」という)に入社し、昭和五三年二月からは同社営業副部長として原料用大豆の保管、出庫等の業務に従事していたものであるが、昭和四八年ころ、旭油脂と取引のあつた雑穀類販売業者である株式会社藤井の代表取締役藤井三郎の紹介で、同社の雑穀類の運搬を取扱つていた小野常夫を知り、以来同人と交際を続けていたところ、昭和五四年初めころ、小野から、被告人の保管、管理にかかる旭油脂の大豆を他に横流しすることを持ちかけられてこれを了承し、被告人において大豆保管の委託先である北日本倉庫港運株式会社の小樽市所在の倉庫の係員に横流しにあてる大豆を準備するよう指示し、小野において日通近文営業所の従事員に右大豆を搬出させて業者に売捌くこととして、前判示のとおり同年四月一三日ころから昭和五六年一〇月一六日ころまでの間に前後四七回にわたつて大豆を横領し、被告人はその都度小野から飲食店などで横領大豆の売却代金から三〇万円ないし四〇万円の分け前を現金で受取つていたことが認められる。

第三  証拠の検討

一客観的証拠の不存在

前記第二、一認定の本件殺人事件の用に供された兇器あるいは死体の創傷の態様、犯行現場の状況からすると相当の返り血を浴びているものと考えられる犯人が犯行時に着用していた着衣など被告人と本件殺人事件との結びつきに関する客観的証拠は存在しない。

二被告人の公判段階における供述の信用性について

1被告人の自白と供述の変遷

本件審理の経過によれば、被告人は昭和五七年九月一四日の警察官による取調べにおいて初めて小野殺害の事実について自白し、右事実により逮捕されて、検察官に送致された同月一八日の検察官による弁解録取及び同日行われた旭川簡易裁判所裁判官による勾留質問に対して、さらには、その直後に行われた警察官の取調べに対して、いずれもこれを否認したものの、その後再び自白に転じ、以後捜査段階ではこれを維持してきたこと、また、昭和五七年(わ)第二八二号事件の第一回公判期日(昭和五七年一一月四日)での被告事件に対する陳述において、公訴事実を認め(以下この供述を「公判自白」という)、次いで第四回公判期日(同年一二月二〇日)での被告人質問において、検察官の、司法巡査作成の昭和五七年九月二八日付捜査報告書添付のアドレス帳を示してなした質問に対し、「昭和五六年一〇月三一日に小野方からこれに似たアドレス帳を盗んできた」旨供述したが(以下この供述を「公判不利益供述」という)、第五回公判期日(昭和五八年二月七日)における被告人質問で小野殺害の事実を否認し、以後一貫してこれを否認するとともに昭和五六年一〇月三一日小野方からそのアドレス帳を窃取したことも否認してきた。

ところで、すでに当裁判所は、昭和五九年八月二七日付の決定(以下「証拠決定」という)をもつて、右の捜査段階における自白を内容とする被告人の供述調書および自白にもとづいて作成された実況見分調書等については証拠能力を欠くものとして検察官からの証拠調べの請求を却下するとともに、第三一回公判期日において、被告人の検察官に対する昭和五七年一〇月二六日付供述調書中の「七丁裏八行目から一一行目まで」、「八丁表六行目から同丁裏一行目まで」の各部分(なお、右供述調書は、業務上横領事件の関係で証拠として取調べられた後の第三回公判期日において、検察官が「本件の動機及びその実態を明らかにするため」との立証趣旨の追加請求をなし、弁護人においてこれに同意したため本件の関係でも証拠として採用されたものであるが、右供述調書中の右各部分は、本件で起訴された後業務上横領の関係で取調べられた際の小野殺害を認める供述を録取したものである。)について排除決定したため、結局、被告人と本件殺人事件の犯人との結び付きに関する証拠としては、前記公判自白及び公判不利益供述のみであるので、以下に右供述の信用性について検討する。

2公判自白及び公判不利益供述の信用性の検討

(一) 証拠としての価値

公判自白は、本件についての審理の冒頭手続における被告事件に対する陳述として供述されたもので、起訴状記載の公訴事実は間違いない旨の抽象的なものに過ぎず、犯行の動機、手段、方法などの具体的な状況に触れるものではないので、殊に本件のように捜査段階と公判段階を通じ被告人において自白・否認を繰り返えし、その供述が変転している場合には、公判廷における供述であることの一事をもつて直ちに信用性が高いものということはできず、証拠としての価値には限度がある。

また、公判不利益供述は、小野の殺害を直接認めるものではなく、小野のアドレス帳を同人のもとから窃取したというものであつて、検察官主張にかかる「被告人と小野との間に大豆の横領をめぐつて紛争が生じ、小野から、旭油脂に対し被告人の横領の事実を暴露する旨言われたため、被告人において、過去の横領の証拠となるようなその事実を記載した小野のアドレス帳を同人の居住する日通近文営業所から窃取したうえ、その口を塞ぐため同人を殺害した」との本件の動機についての一連の事実に沿う証拠が存する場合には、被告人と本件殺人事件との結びつきを間接的に証明する証拠としてその存在を無視しえないものであるが、右一連の事実についてはこれを証明する証拠は全く存在しないうえ、そもそも右供述の前提となつたアドレス帳は、前記証拠決定によつてその収集過程が違法であるとして排斥された被告人の捜査段階における自白に基づき収集されたもので、かつ、現物そのものではなく捜査当局がその自白を基に類似のものを文具店から入手したものであること(この事実は、第六、第七回公判調書中の被告人の各供述部分、第三回公判調書中の証人鎌田至宏供述部分、第九回公判調書中の証人添岡睦雄の供述部分、丹尾美代子の検察官及び司法巡査に対する各供述調書によつて認められる。)などに照らすとその証拠価値は甚だ乏しいものといわざるをえない。

(二) 供述するに至る経緯と供述の動機からの検討

(1) 捜査段階における取調べ状況と起訴後の被告人の状況

被告人の当公判廷における供述、第五ないし第八回、第一一回、第一七回公判調書中の被告人の各供述部分、被告人の司法警察員に対する昭和五六年一一月六日付供述調書、証人赤松恵美子の当公判廷における供述、第四回公判調書中の証人執行濱夫の供述部分、第九、第一〇回公判調書中の証人添岡睦雄の各供述部分、第一〇回公判調書中の証人鷹觜正の供述部分、第一一回公判調書中の証人板倉澄、同鎌田興亜の各供述部分、第一三回公判調書中の証人西田政章、同道下雅博の各供述部分、第一七、第一八回公判調書中の証人林崎弘明の各供述部分、第一九回公判調書中の証人能戸博の供述部分、第二〇回公判調書中の証人吉田一郎の供述部分、証人鹿内浩一に対する当裁判所の尋問調書、当裁判所の昭和五八年一二月二二日付検証調書、押収してある診療録一枚(昭和五八年押第七五号の1)、留置人動静簿一冊(同押号の4)勾留処分に関する記録及び審理の経過によれば、以下の事実が認められる。

ア 被告人は昭和五六年一一月六日、旭川警察署に出頭し、小野常夫と共謀して昭和五四年から四〇回くらいにわたり旭油脂の大豆を横領した旨供述したが、旭油脂の代表取締役である執行濱夫の穏便にとの意向もあつて、警察官からは被告人の処分は会社に任せ、刑事事件としては立件しない旨を伝えられ、その日は帰宅させられた。

イ しかし、被告人は、翌昭和五七年八月一七日、昭和五六年における一八回の業務上横領事件により逮捕され、同月一九日から旭川警察署留置場に接見禁止のうえ勾留され、同年九月七日右各業務上横領事件(昭和五七年(わ)第二四三号)で起訴され、次いで、被告人は、右起訴後の勾留中の取調べで小野殺害の事実を認め、同月一六日右事実により逮捕後、同月一八日接見禁止のうえ同留置場に重ねて勾留され、前記第三、二、1記載の経過で結局自白し、同年一〇月七日本件(昭和五七年(わ)第二八二号)により起訴され、さらに同年一〇月三〇日、昭和五四年から昭和五五年にわたる二九回の業務上横領事件(昭和五七年(わ)第三一八号)により起訴された。

ウ 捜査当局による本件殺人事件についての捜査の経過と被告人に対する取調べの状況の詳細は、前記証拠決定に認定したとおりである。

すなわち、捜査当局は、本件殺人事件発生以来捜査を継続してきたが、本件殺人事件の犯人を特定するに足りる資料を収集することができないまま捜査に行き詰り、被告人の判示の業務上横領事件について捜査の洗い直しをした結果、業務上横領事件と本件殺人事件との関連性に着目するに至り、既に事件の全貌がほぼ明らかになつていた昭和五四年から昭和五六年にわたる業務上横領のうちの昭和五六年の事実により被告人を逮捕、勾留のうえ起訴(昭和五七年(わ)第二四三号)し、この起訴後の勾留(勾留場所はひきつづき旭川警察署留置場)を利用して、被告人の自白を得る目的のもとに、本件殺人事件について適法に令状の発付を求めて逮捕できるだけの資料がなく、身柄不拘束の被疑者と同じ立場にある被告人に対し、昭和五七年九月一一日から、本件殺人事件の取調べを開始し、取調べにあたつた二名の警察官において、業務上横領による身柄拘束以来二五日を経過していた被告人に対し、連日、取調室において、深夜まで長時間の取調べを行い、かつ、その際、被告人に対し、不動の姿勢を強い、頭を小突くあるいは胸をたたくなどの暴行を加えた疑いの極めて強い取調べを行つたもので、その結果、被告人は、かなりの程度心身の疲労が募り、健康を害し、俗に「からあげ」といわれる嘔吐をするなどの症状を呈するに至り、そのため自白をせざるを得ない追い詰められた心理状態に達し、ついに、同月一四日、犯行を自白し、次いで、捜査当局は、同月一六日、右のとおりその収集過程に違法があるため司法審査の資料として用いることが許されない被告人の右九月一四日付の供述調書を被告人と本件殺人事件とを結びつける唯一の疎明資料として請求し発付を得た逮捕状で被告人を逮捕したうえ、引き続き同年一〇月七日本件を起訴するまでの間勾留(勾留場所は右に同じ)するという違法な拘束状態を継続するなかで、心身ともに疲労し体調の悪い状態にあつた被告人に対し連日のように深夜まで長時間の取調べを行つた。

エ 被告人は本件により起訴された後も旭川警察署留置場に勾留され、その間昭和五四年と昭和五五年の業務上横領について数回取調べを受け、右の事実につき昭和五七年一〇月三〇日起訴(昭和五七年(わ)三一八号)され、捜査が終了した。しかしながら、その後もひきつづき同所に勾留され、被告人が旭川刑務所拘置監に移監されたのは昭和五七年(わ)第二四三号事件(業務上横領)および昭和五七年(わ)第二八二号事件(殺人)の各第一回公判期日(前者は同年一〇月一日、後者は同月四日)が終了した後の同月一一日であつた。

オ 被告人については、昭和五七年(わ)第二四三号事件につき昭和五七年九月九日国選弁護人が選任されたが、同月二七日に至り、被告人の姉妹らの尽力により現在の弁護人が選任され、被告人と右弁護人との接見は本件の起訴迄の間に三回、その後第四回公判期日(同年一二月八日)までに同年一〇月二二日、同年一一月一五日、同月二九日に行われていることが窺われるが、被告人がはじめて弁護人に対し本件について事実関係を否定するとともに、捜査段階における取調べ状況を告げたのは第四回公判期日の後であつた。

カ ところで、弁護人は、昭和五七年(わ)第二八二号事件の第一回公判期日において、捜査段階における自白調書は違法な別件逮捕、勾留中に作成されたもので証拠能力がないことを理由に被告人の無罪を主張しながら、その際被告人の右公判自白について何ら言及していないばかりか、被告人が右公判不利益供述をした際にも全く被告人質問を行つておらず、また、被告人は弁護人が無罪を主張することを知らされていなかつた。

(2) 以上認定の事実を前提に被告人の供述の信用性について検討する。

ところで被告人は、公判自白及び公判不利益供述をした理由として「殺人事件の第一回公判期日当時はまだ警察の留置場におり、否認した場合警察官からまたどのような扱いを受けるのかとの不安をもつていた」旨、「否認する気持は既に持つていたが、弁護人を選任するについては、自分の希望ではなく、姉妹が手配してくれたものであつたうえ、弁護士については漠然とした認識はあつたものの、どれだけ力になつてもらえるものか判らず、打ち明けられなかつた」旨それぞれ供述するところ、前記認定のとおり、そもそも被告人に対する取調べは極めて苛酷なものであり、それにより被告人の受けた肉体的、精神的疲労、痛手は相当大きかつたものと考えられるうえ、被告人が右の取調べを受けた代用監獄である旭川警察署留置場から旭川刑務所拘置監に移監されたのは本件殺人事件の第一回公判期日の後であり、また、前記認定のオ、カの事実からすれば、被告人には右の当時までいまだ弁護人に対する全面的な信頼感がなく、一方弁護人においても被告人から事実関係取調べ情況、被告人の当時の心情等を十分聴き出していなかつたことが窺われることなどの事情に徴すると、公判自白及び公判不利益供述が、弁護人の数回に亘る接見を経た後になされたこと、また、公判不利益供述は旭川刑務所拘置監に移監された後になされたことを考慮に入れたとしても、右各供述の当時、被告人は前記の著しく不当な取調べの影響を受けていなかつたことは認めがたく、右の被告人が公判自白や公判不利益供述をした理由として述べるところは首肯できないものとすることはできず、この点からしても、被告人の右各供述の信用性には疑問があるといわざるをえない。

(三) 事件発生後の被告人の行動及び被告人のアリバイからの検討

(1) 事件発生後の被告人の行動

当公判廷における被告人の供述、第七回公判調書中の被告人の供述部分、第一二回公判調書中の証人小坂登の供述部分、久保田侃彦、野口政勝、堀米長男(昭和五七年九月二三日付)の検察官に対する各供述調書によれば、被告人は小野が殺される前に同人と謀つて横領大豆を準備すべく手配をしていたが、昭和五六年一〇月三一日小野死亡の事実が明らかになつた後も大豆横領を単独で実行しようと企て、他の運送業者に小野に代つて大豆の運搬をするように依頼したり、さらには、翌一一月一日警察官から本件殺人事件につき参考人として事情聴取され、アリバイ等についても聞かれた後、同日行われた小野の通夜に参列し、その場で小野の娘の夫で日通近文営業所の従業員でもある小坂登に翌二日に右大豆の運搬が可能かと打診していることが認められるところ、被告人が小野殺害の犯人であるならば、また、その動機や目的が前記第三、二、2(一)記載の検察官主張のとおりであるならば被告人の右の行動は、小野との不正行為が発覚する端緒となり、ひいては小野の殺害をも疑われかねない極めて不用意な行動というべきであつて、犯人の行動としては不自然であるとの感は免れえないものといえる。

(2) アリバイ

ア 佐藤尚子及び関崎悦子の検察官に対する各供述調書、中野屋良江の司法巡査に対する供述調書、旭川大学高等学校長作成の「捜査事項照会書の回答について」と題する書面(写)によれば、昭和五六年一〇月三〇日夕刻、被告人は自宅において、当時旭川大学高等学校在学中の長女尚子から、同女の以前の非行に対する学校の処分がその日学年会議で決まり、その結果を担任の教師が電話で保護者に伝えてくる旨が聞かされ、尚子と一緒に夕食をとるなどして待つていたところ、同日午後九時一〇分ころ担任教師から電話があり、被告人は尚子の処分結果を伝えられたこと、その後被告人は尚子と共に同日午後一一時ころまで自宅でテレビを見ていたことが認められる。

イ ところで、被告人は同日午後一一時以降の行動につき、当公判廷において「ひき続き『11PM』、題名は覚えていないが伴淳三郎の追悼番組の映画を見た。『11PM』の内容は覚えていない。伴淳三郎の映画の内容については、①ドタバタ喜劇である②伴淳三郎が二人でレストランに入り、ステーキなどの高い食事をしたが、その食事の伝票のほかに飲んだコーヒー二人分の伝票を別にもらい、料金を払うときにはコーヒー二杯分だけを払つて、高い食事の分は払わない③伴淳三郎扮する詐欺師とその仲間二人の三人組があちこちで詐欺を競うというような筋である④伴淳三郎がつぎはぎだらけの扮装をしていた⑤一番最後の会話が非常に奇抜だつた、という記憶がある(但し劇映画『馬鹿と鋏』のテレビビデオテープ一巻((昭和五八年押第七五号の8))を第二七回公判期日において証拠調べをする以前の供述である)。最後の番組が終わる少し前にスナックに勤めていた妻愛子が帰宅した。番組が終つてから妻と寝室で尚子の件について話をした。アリバイについては、捜査段階での取調べにおいて、自宅でテレビを見ていた旨主張したが、映画の最後の場面しか想い起こせず、取調べに合せて事件を構成していくうちに時間が合わなくなつていつたので、結局テレビは見ていなかつたと供述した。その後、記憶を喚起する努力をしていたが、昭和五九年一月末か二月初旬ころの土曜日、拘置所内での食事の際、パンとともに出されたコーヒーを飲みながら他の人と雑談中に詐欺事件の話が出たことが契機となつて映画の他の場面を想い出した」旨供述する。

北海道文化放送編成部作成の「照会依頼に対する回答書」と題する書面、北海道新聞昭和五六年一〇月三日二四頁(写)、小林一郎作成の証明書、第二七回公判期日における検証の結果、押収してあるケース付ビデオテープ一巻(昭和五八年押第七五号の8)によれば、旭川市内では、昭和五六年一〇月三〇日午後一一時二〇分から翌三一日午前零時二五分ころまでの間「11PM」が、同日午前零時一〇分から午前一時二五分ころまでの間、伴淳三郎追悼特集劇映画「馬鹿と鋏」がそれぞれ放送され、映画「馬鹿と鋏」は昭和四〇年ころ一般公開された上映時間約一時間一二分の劇場用映画であり、その内容は、被告人の供述するところと個々の場面では相違する点はあるものの、大筋においては一致していることが認められる。

以上認定の事実及び前記の被告人が供述する映画の内容を想い出すに至つた経緯があながち不自然とはいえないこと並びに被告人において、犯行の日に放送されていた二〇年近く前に一般公開された映画を過去に偶見ていたうえその内容までも覚えていたとは考え難いことからすれば、被告人の前記アリバイに関する供述のうち、少なくとも右映画を見ていた旨の供述はこれを首肯することができ、検察官主張の犯行日時は「昭和五六年一〇月三一日午前一時すぎころ」とその時刻に幅のあるものであるが、一応アリバイの成立を認めることができる。

(3) 以上のとおり、被告人の本件殺人事件発生後の行動には、本件殺人事件の犯人のものとしては不自然な行動がみられること及び一応アリバイの成立が認められることからみても公判自白及び公判不利益供述はその信用性には疑問があるものといわざるを得ない。

(四) 以上説示したとおり、被告人の公判自白及び公判不利益供述は、そもそもその内容自体証拠としての価値が低いうえ、捜査段階での不当な取調べの影響の遮断されていない状況下でなされたものであること及び被告人を犯人とするには犯行後極めて不自然な行動が見られかつ一応のアリバイの成立が認められること等からすれば、その信用性は乏しいものといわざるを得ない。

第四  結論

そうすると、結局本件公訴事実のうち殺人の点については犯罪の証明がないことに帰するので、刑事訴訟法三三六条により被告人に無罪の言渡しをすることとする。

よつて、主文のとおり判決する。

(瀧川義道 伊藤紘基 佐々木洋一)

別紙 一覧表<省略>

《参考・旭川地裁昭五九年八月二七日決定》〔主文〕

検察官の別表(一)記載の供述調書二四通並びに別表(二)記載の実況見分調書三通及び「凶器投棄現場引当報告」と題する書面の取調べ請求をいずれも却下する。

〔理由〕

第一 被告人の本件各供述調書等の証拠能力に関する弁護人及び検察官の主張

一 弁護人

1 被告人の別表(一)調載番号1の供述調書は、いわゆる違法な別件逮捕、勾留中に違法に獲得した自白を録取したものであり、さらに、別表(一)記載番号2ないし24の被告人の各供述調書並びに別表(二)記載の実況見分調書三通及び「凶器投棄現場引当報告」と題する書面(以下別表(二)記載の各書面を「本件各実況見分調書等」という。)は、右自白に基づいた違法な逮捕、勾留中に作成されたものであるからいずれも証拠能力がない。

すなわち、被告人は、業務上横領事件で昭和五七年八月一七日逮捕され、引き続き勾留のうえ、同年九月七日勾留のまま起訴された後、本件殺人事件で同月一六日逮捕され、勾留のうえ起訴されたものであるが、別件の業務上横領事件については、被告人は昭和五六年一一月六日に旭川警察署に出頭して、右事件について供述し、その旨供述調書も作成されていたもので、当時の捜査当局はこれを刑事事件としないとして被告人を逮捕しなかつたものであるところ、その後、捜査当局において、昭和五七年八月に至つて、本件殺人事件の取調べに利用する目的で逮捕、勾留の必要性がない右業務上横領事件で被告人を逮捕、勾留したうえ、同年九月七日同事件で公訴が提起された後にその起訴後の勾留を利用して、本件殺人事件について被告人から自白を獲得し、さらにその自白に基づいて被告人を本件殺人事件で逮捕、勾留したものであり、その間の被告人の各供述調書及び本件各実況見分調書等は、前記のとおり違法な別件逮捕、勾留中及びこれに続く違法な逮捕、勾留中に作成されたものであるからいずれも証拠能力がない。

2 被告人の別表(一)記載の各供述調書中の司法警察員作成のものは、いずれも連日にわたり、長時間かつ深夜にわたる取調べや、取調べの警察官から暴行を受けるなどして、衰弱し、体調を崩した被告人の状態を放置し、あるいはこれを利用し、かつ被告人を誘導するなどして得られた自白を記載したものであるから任意性がなく、また右各供述調書中の検察官作成のものにおける自白は、警察官による右の取調べの影響を受け、警察官に対する供述を繰り返したに過ぎないものを記載したものであるから、これらについても任意性がなく、結局被告人の本件各供述調書はいずれも証拠能力がない。

二 検察官

1 被告人にかかる業務上横領事件は昭和五四年から昭和五六年にわたる多数回に及ぶものであるところ、被告人を業務上横領事件で逮捕、勾留したことについては、その犯行回数、被害の程度、犯行の手口、態様などに鑑みると起訴するに十分値する重大な事案であるうえ、被告人と事件関係者とのつながりや事案の規模に照らすと被告人には業務上横領事件について罪証隠滅と逃走のおそれがあり、被告人を逮捕、勾留する理由及び必要性があつたものであり、かつ、右事件の起訴前の勾留中は同事件についてのみ被告人を取調べ、本件殺人事件についての取調べは全くなされていないのであつて、この点からも本件殺人事件について取調べる目的をもつて別件の業務上横領で逮捕、勾留したものでないことは明らかであり、また本件殺人事件については、昭和五六年になされた業務上横領で起訴した後に同事件についてなお未解明な横領による利益の分配、起訴済の同年一〇月一六日の横領による利得分配の事実関係、同月三一日の大豆横流しの事実関係について被告人を取調べる過程で被告人が自白したため、これに基づいて被告人を本件殺人事件で逮捕、勾留したものであつて、業務上横領事件による逮捕、勾留は違法な別件逮捕、勾留ではなく、またその後の本件殺人事件による逮捕、勾留も適法なものであつて、その間に作成された別表(一)記載の被告人の各供述調書及び本件各実況見分調書等はいずれも証拠能力に欠けるところはない。

2 被告人に対する取調べ中、取調べの警察官が被告人に暴行をはたらくなど強制、拷問あるいは脅迫に及んだことはなく、また取調べ時間についても、昭和五七年九月一一日は午後一時ころから午後一一時ころまで、同月一二日は午前一一時ころから翌一三日午前零時ころまで、同月一三日は午後零時二〇分ころから翌一四日午前需時三五分ころまで、同月一四日は午前九時二五分ころから午後八時ころまで取調べが行われているが、これは横領による利益の分配、昭和五四年と昭和五五年分の横領の事実及び当時昭和五七年九月一九日で勾留期間の満了する勾留中の横領大豆の買受人の賍物性の知情の点を解明する必要があつてなされたものであり、被告人もこれに任意に応じ、かつ、被告人の当時の健康状態には特に問題はなく、取調べに差し支える状態ではなかつたのであるから、長時間の取調べをもつて任意性がないとはいえず、従つて、別表(一)記載の被告人の各供述調書及び本件各実況見分調書等中の指示説明に任意性が欠ける点はない。

第二 当裁判所の判断

一 本件殺人事件の発覚から起訴までの経緯等

一件記録によれば次の各事実が認められる。

1 本件殺人事件の発覚と捜査の開始

昭和五六年一〇月三一日午前八時ころ、旭川市緑町二〇丁目所在の日本通運株式会社旭川支店近文営業所(以下「日通近文営業所」という。)一階宿直室において、同社から委託を受けて同社の運送業務を行なつていた小野常夫(当時五五歳)が頸部から多量の出血をして死亡しているのが同営業所の従業員らによつて発見された。

即日、急報で駆け付けた旭川警察署警察官らによつて同営業所及びその付近一帯の実況見分及び検証が行なわれた結果、死体下部及び周辺に多量の血液が付着し、死体のあつた宿直室に無数の飛沫血痕が認められたほか、右宿直室から裏口に至るまでの間の台所、作業員休憩所の床などに血痕が点々と続いていること、同営業所の裏口にある屋外に通じる引戸の鉄製棒差込み式の錠は前夜最後に同営業所を出た従業員が施錠したにもかかわらず、鉄製棒が錠の穴から抜け落ちていたことが判明し、さらに、同日午後に行われた小野の死体解剖の結果、同死体には左内頸静脈、左総頸動脈を切断する長さ八センチメートルの刺切創等があり、死因は失血死であることが明らかとなつた。

そこで、捜査当局は、小野が何者かによつて殺害されたものと断定し、現場には物色の跡らしいものもあるが現金も残つていたことから痴情怨恨による犯行の可能性もあると考え、日通近文営業所の従業員、小野の取引関係者、知人等から事情を聴取するなどの捜査を開始した。

2 業務上横領事件の発覚からその起訴に至るまで

(一) 日通近文営業所の取引関係を捜査するうち、小野の取引先で知人の藤井三郎などの供述から、小野は、昭和五四年から昭和五六年にかけて、同営業所の自動車で小樽市の北日本倉庫港運株式会社(以下「小樽北倉」という。)から右藤井が代表者である株式会社藤井商店に大豆を多数回にわたり運搬し、右藤井から、右大豆の対価として昭和五四年四月から一〇月までは小野の愛人の実父名義の預金口座に、昭和五五年一月から昭和五六年一〇月までは愛人の友人の実父名義の預金口座に振込送金を受けていたことが明らかとなり、さらに、右藤井から捜査当局に右の事実が明らかとなつたことを知らされ同年一一月六日旭川警察署に出頭した被告人の供述によつて、藤井から前記各預金口座に振込まれた金員は、いずれも当時旭油脂株式会社(以下「旭油脂」という。)の営業副部長で同社の原料用大豆の保管及び出庫等を担当していた被告人が、小野と共謀して、小樽北倉から旭油脂の工場に原料として搬入することになつていた大豆の一部をひそかに藤井商店に売却して得た代金に当たるものであることが明らかとなり、同年一一月中には藤井から前記各預金口座に振込まれた回数と金額も判明したが、捜査当局としては、当面小野の殺害の件の捜査に当たることとし、また同時期に重要事件が相次いで発生して忙殺され、右の大豆の業務上横領事件の捜査はしばらく中断していた。

(二) しかし、本件殺人事件の捜査は難航し犯人を特定できないまま推移し、昭和五七年四月ころからは捜査方針として小野の取引関係に重点を置いて事態の打開を図ることとし、特に前記の経緯で明らかとなつた被告人と小野とが共謀のうえ行なつた大豆の業務上横領事件について、小樽北倉、旭油脂、日通近文営業所などの関係者、藤井三郎などから事情聴取して洗い直した結果、同年七月から八月上旬ころには、昭和五四年四月一回目から昭和五六年一〇月一六日までの間の横領全体の手口、規模等の概要が判明した。そこで、捜査当局は、同じころ大豆横領の被害者である旭油脂の代表者である執行浜夫に捜査によつて収集した資料を示して、判明した横領の全貌を教示し、同人より昭和五七年八月一一日付で昭和五六年一月九日から同年一〇月一六日までの間の一八回の横領(昭和五七年九月七日付起訴分)の被害届一通を、同年八月一二日付で、昭和五四年四月一二日から同年一二月一八日までの間の一〇回の横領と、昭和五五年一月二二日から同年一二月一六日までの間の一九回の横領(いずれも昭和五七年一〇月三〇日付起訴分)の被害届二通の提出を受けた。

(三) 捜査当局は、そのうえで昭和五七年八月一六日、昭和五六年の一八回の業務上横領事件について被告人に対する逮捕状の発布を受け、昭和五七年八月一七日右逮捕状を執行して被告人を逮捕したうえ、同月一九日から旭川警察署留置場を勾留場所とする勾留(あわせて接見禁止決定もなされた)と勾留延長を経て、同年九月七日被告人に対して、逮捕、勾留事実である昭和五六年一八回の業務上横領について公訴を提起した。右事件の第一回公判期日は昭和五七年一〇月一日と指定された。なお、右事件につき同年九月九日に国選弁護人が選任されたが、同月二七日、被告人により当時取調べ中の本件殺人事件とともに私選弁護人の選任がなされた。

3 本件殺人事件の起訴に至るまで

被告人は、昭和五七年九月七日に昭和五六年の業務上横領について起訴された後も引き続き旭川警察署留置場に勾留され、昭和五七年九月一四日の取調べの際警察官に小野の殺害を自白するに至り、その際に作成された供述調書(別表(一)記載番号1)等を資料として発布された逮捕状によつて同月一七日逮捕され、さらに同月一八日勾留され(あわせて接見禁止決定もなされた)、勾留延長を経て、その間本件殺人事件に関して別表(一)記載番号2ないし24の各供述調書と本件各実況見分調書等が作成され、同年一〇月七日本件殺人事件につき公訴を提起された。

4 昭和五四年及び昭和五五年分の業務上横領事件による起訴に至るまで

昭和五七年一〇月七日に本件殺人事件につき公訴が提起された後は、同年九月七日起訴分に含まれていなかつた昭和五四年と昭和五五年の大豆の横領合計二九回につき昭和五七年一〇月一三日、同月一六日、同月一九日警察官により、同月二六日検察官により被告人の取調べが行われ、右各日付の供述調書が作成された後、同月三〇日右業務上横領につき公訴が提起された。

二 供述調書等の証拠能力

本件において取調べ請求のなされている別表(一)、(二)記載の各証拠のうち被告人の司法警察員に対する昭和五七年九月一四日付供述調書が最初に作成されたものであるところ、前記のとおり被告人は、同月七日、昭和五六年分の業務上横領で起訴された後、昭和五七年九月一六日本件殺人事件により逮捕され、同月一八日右事件で勾留され、同年一〇月七日に右事件により起訴されたものであるので、以上の供述調書等については、作成時期の点から、同年九月一六日の本件殺人事件による逮捕前に作成された供述調書と右事件の逮捕、勾留中に作成された供述調書等に分けて検討する。

1  本件殺人事件による逮捕前に作成された供述調書の証拠能力

(一) 供述調書の作成の経緯

一件記録によれば、この間に作成された供述調書は九月一四日付の司法警察員に対するもの(別表(一)記載番号1)であり、その内容は被告人が小野常夫を殺害したことを認める趣旨のもので、本件殺人事件に関する被告人の最初の自白であり、右自白に至る過程は次のとおりである。

(1) 被告人は、業務上横領事件により起訴された後も引き続き旭川警察署留置場に勾留されていたが、同年九月一一日午前九時三〇分ころから午前一一時三〇分ころまで被告人に対してポリグラフ検査が被告人の承諾のもとに実施された。しかし、その質問事項は横領に関するものは少なく、多くは本件殺人に関する動機、侵入口、逃走口、殺害の手段、方法、凶器等についてのものであつた。但し、その結果は、横領、殺人いずれについても陰性であつた。

さらに同日午後一時三〇分ころから、それまで業務上横領事件について被告人の取調べを担当してきた旭川方面本部捜査課に所属する警察官添岡睦雄、同鷹觜正による取調べが始まり、この日は午後一一時三〇分ころまでポリグラフ検査の時間を含めて約一二時間、次いで同月一二日は午前一一時から翌一三日午前零時五分まで約一三時間五分、同月一三は午後零時二〇分から翌一四日午前零時三五分まで一二時間一五分、同月一四日は午前九時二五分から午後八時四分まで一〇時間三九分それぞれ被告人に対する取調べが行なわれた(なお、取調べ時間には、留置場の監房と取調べ室の往復に要する時間を含む。また留置場における起床時間は、前夜の取調べ終了時間と関係なく午前六時三〇分であつた)。

そして、この間被告人は、業務上横領、殊に昭和五六年一〇月一六日の分の分け前の授受の有無に関連して小野との関係を追及され、昭和五七年九月一三日までには結局、右分け前をもらつておらず、このことで小野といさかいが起つたことを認める供述をし、翌一四日午前零時三〇分ころに至つて、ひと晩考えさせてもらいたい旨述べ、明けて同日午前九時三〇分ころからさらに追及を受けた結果、午前一〇時五〇分ころ小野を殺害したことを認めむ、同日のうちに昭和五六年一〇月一六日の横領分の分け前を小野からもらうことができなかつたので、同月三〇日電話で小野に支払を催促するとともに大豆の横領をやめることをほのめかして文句をつけると、逆に小野からこれまで被告人が会社の大豆を横領してきたことを暴露する旨脅かされたので、自己の横領の発見を恐れ、翌三一日、日通近文営業所に侵入して小野を殺害した旨の自白をし、これを内容とし、被疑事件を殺人とする別表(一)記載番号1の供述調書が作成された。

なお、昭和五七年九月一一日から被告人の事件を担当する係官からの指示によつて、旭川警察署留置場係官は、被告人の動静を監視し、留置人動静簿にその結果を記入することとなり、以後これは被告人につき本件殺人事件の公訴が提起される同年一〇月七日まで続けられた。

(2) ところで、被告人は、昭和五七年九月一一日からの取調べの状況について、当公判廷において要旨次のように供述する。すなわち、「タバコは、それまでの取調べでは吸いたければ吸うことができ、取調べの時間が長びけば、手足も動かすことが許されたが、この日(昭和五七年九月一一日)からは、タバコは吸うことは許されなくなり、椅子に一定の同じ姿勢で座つているように言われ、長時間同じ姿勢でいたため膝などが痛くなつて手足を少しでも動かすと、取調べの警察官から注意された。取調べ中、取調べの警察官二名(添岡睦雄、鷹觜正)から、頭を小突かれたり、手刀で首の後ろの部分をたたかれたり、また手の甲で胸をたたかれる。平手で頬を打たれるなどの暴行を受け、たたかれた胸のあたりはその後一週間ばかりは痛みがあり、留置場の係官から二度にわたり湿布をもらつて胸に貼つた。また、警察官に相当大きた声で怒鳴られ、人殺し呼ばわりされた。そのため、このような取調べが長く続くようだと自分としては耐え切れないと感じていたところ、殺人につき自白した昭和五七年九月一四日は朝から吐き気を催しゲーゲーやるような状態であるにもかかわらず、取調べの警察官により留置場の監房から取調べ室に連行され、取調べられたので、耐え切れなくなり、早く楽になりたい、一応自白だけして裁判で話を聞いてもらおうと考え、自白した。犯行に至る経緯、犯行状況などについては警察官からヒントが与えられた。同月一八日の検察官の取調べ(逮捕後検察官送致時の弁解録取)の際犯行を否認したが、その後の警察官の取調べでは一旦否認したものの、また自白する前のような取調べを受けることになればとても耐え切れないと考え、結局犯行を認める供述をした。」(以上は第一八回公判で留置人動静簿が証拠として取調べられる前の被告人の供述。以下はそれ以降の供述。)「長時間、身動きしないで椅子に座るよう強いられたので、その取調べの後一週間か一〇日間くらいは歩行困難で、びつこを引いて歩いていた。自分は身体が疲れたときには目にくるが、目薬をもらつたのは、非常に疲れていて、目が悪かつたからだ。また、ひどい下痢が続き正露丸をもらつた。自白した九月一四日の朝その日の取調べの前に運動場でタバコを吸うととたんに吐き気を催し、留置場の洗面所でからあげし、房に戻つてからも激しくからあげした。これを取調べの警察官には訴えなかつたが、警察官は自分がゲーゲーやつているときに取調べ室に連れて行つたのであるからこの状態を知らないわけはない。」旨述べる。

一方、被告人の取調べに当つた警察官添岡睦雄及び同鷹觜正は証人としていずれも要旨次のとおり供述する。すなわち「昭和五七年九月一一日からの被告入に対する取調べの際被告人の頭を小突いたり、手刀で首の後ろをたたいたり、手の甲で胸をたたいたり、平手で頬を殴るといつた暴行を加えたことはなく、怒鳴つたり、人殺し呼ばわりしたこともない。また、同月一四日の朝被告人を房から取調べ室に連れて行くとき、被告人はひどく思い詰めたような願をしていたが健康状態は普通で、吐き気を催している様子はなかつた。そしてこの日被告人は自白したとたんからあげを始めたが、しばらくすると収まり被告人も大丈夫と言い顔にも赤味がさしてきたので、取調べを再開した。同月一七日の取調べのとき被告人が服の上から左胸あたりを触つていたので、理由を尋ねると胸がちよつと苦しいのでと答えたが大丈夫と言い、自分で湿布をはがして丸めて捨てたのでそのまま取調べたが、上司の指示で翌朝医師の診療を受けさせた。」旨述べる。

また、被告人が本件殺人事件で取調べを受けているころ、旭川警察署留置場に在監したり、被告人と同房であつた者らは、証人として要旨次のように供述する。

検察官請求の証人である佐野兼治は「昭和五七年九月二九日までの三週間留置場にいた。夜、留置場の外から物音、人の声が聞こえてくることはなかつたが、自分は寝つきのよい方で就寝時間(午後九時)には横になり、それほど時間がたたないうちに眠れた。」旨、伊藤光一は「昭和五七年九月一〇日から九月二〇日まで留置場にいた。夜、留置場にいて、その外から物音や、取調べの声と思われるような声が聞こえてきたことはない。」旨、大倉秀一は「昭和五七年九月一一日午後九時過ぎに旭川警察署留置場に入り、同月一三日昼すぎに出た。留置場にいて、夜、取調べの声でないかなと思われるような声が外から洩れてくるということはなかつた。怒鳴つていると感じるような声が洩れてくることもなかつた。同月一一日に自分より遅く留置場に一人入ってきたが、午後一〇時ころのことだつた。同月一二日午後一〇時ころ留置場に入つてきた人がいた。自分の記憶ではそのほかはいない。」旨述べる一方、弁護人請求の証人である西田政章は「昭和五七年九月初めころから約一か月弱旭川警察署留置場に勾留されていたが、その間一時少年一号室で被告人と同房となり、その後他房に移された後看守から、被告人が少し弱つているので、以前同房だつたことのある自分に様子をみるようにと言われ、再度少年一号室で被告人と一緒にされた。被告人は食欲がなく衰弱しており、左胸を痛がり、さかんにさすつたり、せき込み、看守に湿布をもらつて貼つていた。また夜遅く、留置場の監房で、「おい」、「こら」、「うん」、「お前やつたんだべ」という被告人を取調べていると推測される声を聞いた。」旨、道下雅博は「昭和五十七年七月下旬ころから九月二六日ころまで旭川警察署留置場に勾留されていたが、留置場の房内にいるとき、夜中、真上の方から言葉は聞き取れないが、怒つているような怒鳴るような声が聞こえてきた。被告人が深夜まで激しく取調べを受けていることは房内では有名な話であつた。運動のとき被告人は吐き気を催していたので、どうしたのと聞いたら、胸をたたかれたと言つていた。」旨、鹿内浩一は「昭和五七年六月から同年一〇月七日まで留置場にいた。被告人とは、九月中ごろ同房となつた。被告人は入つてきたときあんまり具合が悪そうな顔をしていたのであまり話をしなかつた。被告人は朝食はほとんど食べず、苦しそうにして胸か胃かを押えるようにして横になることが多く、見かねた自分は看守に一、二回申し出たが、看守からもう少し待つと調べる人が来るからそのまま我慢してくれというようなことを言われた。屋上の運動場で被告人と一緒に運動をしていたときも、胸が急に具合い悪くなつたという感じで、胸を押さえながら壁に寄り掛かつてしやがみ込んだということがあり、吐き気を催し、からあげし、房でも吐き気で涙を流すのを見た。起床後の部屋の掃除は、被告人の身体があまり丈夫でないように見えたので自分がしていた。また、就寝後何度か、上の方から怒つているような男の声が聞こえ、被告人が取調べを受けているのではと噂をした。」旨述べる。

ところで、前記留置人動静簿には、被告人の健康状態等に関して、次の記載が認められる。すなわち、

九月一四日、一:四五、長時間かかつて大便する。

同月一五日、九:一五、寒いと申し立てたので着替えを実施。

同月一六日、二〇:二〇、胸が少し痛いので、シップ薬を下さいと申し立てたので、備付の物を与えたところひざも少し痛いと申し立て、自分で左胸に当てた。

同月一七日、一九:二〇、シップ薬と目薬が欲しいと言うので与えた。

同月一八日、八:三五、板倉院長の診断を受ける、診療簿のとおり措置不要。一四:二〇、弁護士を早く選任し今の自分の気持を話したい。一五:四〇、両腕を胸に置き腹まで毛布をかけ仰向けになつて寝ている。

同月一九日、六:三〇、起床する、本人からおはようと声をかけてきたので眠れるかと聞いたところ、うとうとですと答えた。

同月二〇日、二三:三〇、目薬を要求したので与えた。

同月二二日、一五:三〇、健康診断を実施する、異常なし。二三:一五、目薬が欲しいと申し立てたので与えた。同月二三日、八:三五、腹が痛くなりかけたので予防のために下さいと言うので正露丸三粒を与えた。

同月二五日、七:五五、正露丸を欲しい旨申し立てたので与えた、小し下痢ぎみですと申し立てた。一八:〇八、ちよつと下痢ぎみですので正露丸を三粒下さいと申し立てたので与えた。

同月二六日、二一:〇五、今日検事調べがあつた、検事の前だと疲れる等と話していた。

同月二七日、八:四〇、下痢ではないが腹の調子が悪いので正露丸を下さいと申し立てたので三粒与えた。

同月二九日、〇:一五、今日はうるさい人は入つていないでしようね、きのうはうるさい女の人が入つてきたので眠れなかつたと申し立てた。

一〇月二日、一一:四五、最近食欲が出て来て食事の一時間位前には非常に腹がすくと申し立てた。

同月四日、二二:二七、目薬を要求したので与えた。

同月六日、〇:四五、目薬を要求したため事務室に於て点眼させた。

同月七日、二一:〇〇、目薬を要求したので与えた。

次に当裁判所の検証の結果によると、次の事実が明らかである。

旭川警察署取調べ室は、同署一階北側にあり、一号から七号まで七室あり、同署留置場は右各取調べ室の下にあたる同署地下一階北側にあり、監房は一三室、少年用房二室、婦人用房二室のほか保護室がある。被告人の取調べに使用された取調べ室は一号及び七号取調べ室であるが、両取調べ室の窓の部分については内側から、また出入口扉については内側からその全面(出入口扉についてはかなりの厚みのある合板)に、その外側からは換気孔部分にそれぞれ合板が張られているほか右一号取調べ室に隣接する二号取調べ室の一号取調べ室の隔壁の全面に合板がそれぞれ張られている。これは昭和五七年九月二〇日と二一日の両日にわたつて施工された。実験の結果、一号及び七号取調べ室から大声を発しても留置場内ではほとんどその音声は聴取できないが、一号及び七号取調べ室にそれぞれ隣接し、いずれもその開口部分に合板の張られていない二号及び六号取調べ室から、一〇三ないし一一一ホーン程度の大声を発すると取調べ室と監房の窓をともに閉めない限り、房一三号室あるいは少年一号室では少なくともその語調がわかる程度にその音声の聴取が可能である。(右の取調べ室の改装が被告人の取調べに用いられたものに限られていること、その時期が、被告人が殺人について九月一四日に自白した後、はじめて犯罪事実を内容とする供述調書の作られた同月二三日迄の間に行われていること、その改装が取調べ室の唯一の明り取りである窓を合板で完全に塞ぎ、また、出入口の扉については内側から全面に合板を張つたうえ、扉の換気口の部分にはさらに外側から合板を張つていること及び後記認定のとおり、取調べ室の下に位置する留置場に在監していた者らの間で被告人に対する取調べが話題になつていたことなどを考え合せると右の改装は被告人に対する取調べの音が外部に洩れるのを防ぐことを直接の目的としたものである疑いが極めて強い。)

そして、以上の留置人動静簿の記載に符合する部分があるほか、検証の結果とも矛盾せず、その供述内容が具体的で迫真性のある前記被告人の留置場における様子や夜間人を大声で追及するような声を聞いたとの点に関する前記同房者らの供述は十分に措信しうるものであつて、これらの証拠によれば、被告人の、取調べの状況、健康状態等に関する供述は、これを虚偽のものとして排斥することはできないのであつて、以上の証拠を総合すると、

昭和五七年九月一一日以降の被告人の健康状態および取調べ状況は、初めて本件殺人を自白した同月一四日の朝はかなり疲労しており、吐き気を催し、胃の中身は出さないで嘔吐するいわゆるからあげをする状態にあり、取調べに入つても吐き気があり、自白したとたんにからあげを始めたこと、同月一六、一七日の前後ころには胸の痛みや膝の痛みを訴え、右両日の二回留置場の係官から湿布をもらつてこれを胸部に貼り、これを見とがめた取調べの警察官の手配によつて医師の診断を受けたこと、同月二三日、二五日、二七日には、下痢や腹痛あるいはその予感を訴えて薬(正露丸)をもらつたこと(同月二五日には朝晩の二度)、また、七月二七日、二三日、同年一〇月四日、六日、七日には目薬を係官に求めたこと、したがつて、被告人は、自白の前後を通じかなりの程度疲労し、健康状態も思わしくなかつたものと認めることができるうえ、被告人は、その取調べ状況等に関する公判廷における供述に多少の誇張があることは否定できないにしても、同年九月一一日から被告人が最初に殺人について自白する同月一四日までの取調べにおいて、それまで吸うことができたタバコを吸うことも許されなくなり、取調べの警察官から大声で怒鳴られるなどして殺人事件について自白を迫られ、頭を小突くあるいは胸をたたくなどの暴行を受けたり、長時間不動の姿勢を保つことを強いられた疑いが極めて強いものといわざるをえない。

(3) 上のとおり昭和五七年九月一一日からの警察官による被告人の取調べの状況は、被告人は、同年九月一一日から従前許されていた喫煙も禁じられ、連日長時間にわたり深夜に及ぶまで椅子に不動の姿勢で座らされ、取調べ官から頭を小突かれたり手で胸をたたかれるなどの暴行を受けたほか、大声で怒鳴られ殺人事件について厳しい追及を受けた疑いが濃厚であり、また同年八月一七日に逮捕されて以来二五日間身柄を拘束されてきたこともあつて、心身ともに疲労した状況にあつたものであつて、これらの事実を前提とすると、被告人は、前述のような取調べを受ける過程で、九月一三日の深夜取調べの終わる段階では、翌日以降の取調べにおいては自白せざるを得ないように相当追い詰められた心理状態に達しており、翌一四日の警察官に対する自白は、このような心理状態に基づいてなされたもの、換言すれば、九月一一日から一三日までの間警察官による前記認定のような取調べ方法がとられていなかつたならば、九月一四日における自白はなされなかつたと認めるに十分であり、すなわち、警察官による右のような取調べと右自白との間に因果関係があると認めることができる。

(4) なお、昭和五七年九月一一日からの被告人に対する取調べ目的について検討する。

一件記録によれば、業務上横領事件については前記のとおり昭和五六年一一月の時点で被告人が自ら出頭して供述したことやその他の捜査の結果、事件の概要は既に判明していたものであるが、その手口、態様、関係者の数、重要な役割を果した共犯者の小野の死亡の事実などの事情に照らし、業務上横領事件について被告人を逮捕、勾留する理由及び必要性が存したことは明らかであるうえ、昭和五七年八月一七日に業務上横領事件で逮捕し、勾留、勾留延長を経て、同年九月七日に右事件で公訴を提起するまでの間には、本件殺人事件についての取調べが被告人に対し行なわれたことはなく、もつぱら逮捕、勾留事実である業務上横領の事実についてのみ取調べが行なわれたこと(このことは、被告人自身公判廷で自認するところである。)などの事実からすると、捜査当局に業務上横領事件による逮捕、勾留を直ちに本件殺人事件の取調べに利用する目的または意図があつたものと即断するにはいささか躊躇させる事情も認められる(したがつて、業務上横領による逮捕、勾留がいわゆる違法な別件逮捕、勾留であつたとまではいえない)のであるが、しかし一方、捜査当局が業務上横領事件によつて被告人を逮捕するに至つたのは、右事件が発覚してから九か月余りも経過した後であり、前記のとおり右事件全体の規模等の概要はかなり前から判明していたにもかかわらず、本格的な捜査に着手したのは本件殺人事件の捜査に行き詰まつてからであること、被告人につき業務上横領事件で逮捕状を請求した昭和五七年八月一六日までには右事件全部について逮捕できるだけの資料が揃つていたにもかかわらず、全部について請求をしないで、昭和五六年の横領一八回についてだけの請求をし、残りの昭和五四年及び昭和五五年の横領二九回については追起訴分として起訴後の勾留による取調べを当初から予定していたとみられるのに、昭和五七年九月一一日からの取調べにおいては、昭和五四年及び昭和五五年の横領について直接的な取調べが被告人になされた形跡がないこと(昭和五七年九月七日以降同月一四日までの間に業務上横領を被疑事件とする供述調書は全く作成されてしない)本件殺人事件については、被告人が同月一四日に自白するまでは、犯人と被告人とを結びつける資料はなく、右以前には被告人を本件殺人事件により適法に令状の発布を求めて身柄を拘束するにいたるだけの資料を収集しえていなかつたことが認められ、これらによれば捜査当局が当初から業務上横領事件による起訴後の勾留を利用して被告人に対し本件殺人事件の取調べをなす目的または意図をもつて業務上横領事件で被告人を逮捕し、勾留のうえ起訴したのではないかとの疑いはなお払拭しきれないのであつて、これに被告人の取調べにあたつた検察官添岡睦雄及び同鷹駕正の「九月一一日からの取調べは、被告人が小野と大豆の横流しをやつて深くかかわつていることから大豆の横流しの関係とあわせて殺人事件と関連しているかどうかを解明する目的で行なわれたもので、横領による利益の分配、昭和五六年一〇月一六日及び一〇月三一日の横領の事実関係について追及するうちに昭和五七年九月一四日殺人事件について自白した。」旨の証言前記認定のように昭和五七年九月一一日から被告人について留置人動静簿の記載がなされるようになつたこと、被告人への追及が、前記のように長時間で深夜に及ぶかなりの程度厳しい取調べの中で本件殺人事件について自白を迫るものであつたことをあわせ考慮すると、昭和五七年九月一一日からの被告人への取調べは、単にすでに起訴済みの業務上横領事件の補充的な捜査や追起訴予定の業務上横領事件の捜査にとどまるものでは到底なく、本件殺人事件と被告人を結びつける資料がなく、被告人を本件殺人事件により適法に令状の発付を求めて身柄を拘束するにいたるだけの資料を収集しえていなかつた捜査当局において、業務上横領事件と本件殺人事件の関連性に疑いを抱き、この点に着目し、業務上横領事件による起訴後の勾留を利用して被告人に対し本件殺人事件について取調べ、その自白を得る目的のもとに行なわれたものと認めざるを得ないのである。

(5) 次いで、被告人の本件殺人事件における被疑者としての地位について検討する。

被告人に対する昭和五七年九月一一日から一四日までの四日間にわたる本件殺人事件の取調べは、前述のとおり別件の業務上横領事件の起訴後の勾留中に、本件殺人事件について逮捕、勾留することなく、いわゆる余罪の取調べとして行なわれたものである。

ところで、被告人を当該被告事件以外の被疑事件について取調べることは刑事訴訟法一九八条一項の規定に照らして許されるところであるが、その被疑事件につき逮捕、勾留されていない以上、その取調べは任意捜査であり、被告人が取調べを受けるかどうかはあくまでも任意であり、取調べ開始後も何時でもこれを拒むことができることになる。したがつて、当該被告事件について逮捕又は勾留されている場合でも、右被疑事件の取調べは、取調べ時間、方法等の点において身柄不拘束(在宅)の被疑者を取調べる場合に準ずるよう配慮しなければならない。

これを本件においてみると、被告人に対する昭和五七年九月一一日から一四日に至る取調べは、右の場合にあたるから、取調べ時間や方法等の点で在宅被疑者に対する任意捜査に準じた配慮が払われるべきものである。

(二)  以上の事実関係をもとにして、被告人の司法警察員に対する昭和五七年九月一四日付供述調書の証拠能力について判断するに、同月一一日から一三日までの三日間にわたる取調べは、すでに身柄を拘束されて以来二五日間を経過し、心身ともに疲労している被告人に対し、被告人と本件殺人事件とを結びつける資料がなく、本件殺人事件についての令状を得ることができないのに、本件殺人事件についての取調べを開始し、警察官二名が在室した状態で連日深夜に及ぶ長時間にわたる取調べを行ない、その間、厳しい追及、説得等を継続し、さらに右の取調べにおいては、被告人に対し、不動の姿勢を強い、頭を小突くあるいは胸をたたく等の暴行を加えた疑いが極めて強いのであつて、右の取調べは身柄不拘束の被疑者と同じ立場にある被告人に対するものとしては、許容された限界を越えた違法なものといわなければならず、その違法の程度は相当重大であつて、このような違法な取調べによつて得られた前記司法警察員に対する供述調書は、憲法三一条、三八条一項、二項の趣旨に照らし、証拠能力を欠くものといわざるを得ない。加えて右の取調べ方法は、被告人に対し自白を強要するに等しいものであるといわざるを得ず、同月一四日の自白は任意性に疑いがあるものであり、右自白を録取した前記司法警察員に対する供述調書は、この点においても証拠能力を欠くものである。

2  本件殺人事件による逮捕、勾留中に作成された供述調書等の証拠能力

(一) 供述調書等の作成の経緯

一件記録によれば、次の事実が認められる。

被告人は、昭和五七年九月一四日の自白を録取した供述調書を被告人と本件殺人事件とを結びつける唯一の疎明資料として請求された本件殺人事件の逮捕状により同月一六日逮捕され、同月一八日右事件で勾留されてから一〇月七日まで二〇日間旭川警察署留置場に勾留され、その間に別表(一)記載番号2ないし24の各供述調書及び被告人の立会い、指示説明に基づく本件各実況見分調書等が作成された。

この間被告人は、同年九月一八日本件殺人事件により、検察官に送致された際の検察官による弁解録取に対して、また、同日行なわれた旭川簡易裁判所裁判官による勾留質問に対して、さらに、その直後に行なわれた警察官に対する取調べに対して、小野の殺害を否認したほかは、これを認め、また認めることを前提とする供述をした。

(二) そこで、以上のような事実関係のもとに、右の期間に作成された本件殺人事件に関する各供述調書及び本件各実況見分調書等の証拠能力について判断する。

本件殺人事件についての被告人の逮捕、勾留は、前記のとおりその作成過程に違法があるため司法審査の資料として用いることが許されない被告人の前記九月一四日付の司法警察員に対する供述調書が被告人の犯罪の嫌疑を疎明するための唯一の資料として用いられることによつてなされたものと認められるから、右の逮捕、勾留はいずれも違法な身柄の拘束にあたるものである。

ところで、憲法三一条、三八条一項、二項の趣旨に照らすとき、かかる違法な逮捕、勾留状態中における取調べによつて得られた供述及びこれを録取した供述調書、その供述を基にして収集された証拠は、その収集過程に違法があるものとして、証拠能力がないものと解するのが相当である。

したがって、本件殺人による逮捕、勾留中に作成された別表(一)記載番号2ないし24の各供述調書及び本件各実況見分調書等はいずれも証拠能力を欠くものというべきである。(なお付加するに、本件殺人事件による逮捕後起訴までの被告人に対する取調状況は別表(三)取調状況一覧表記載のとおりであり、前記のとおり被告人は疲労し、体調の悪い状態にあつたにもかかわらず、取調べ終了時刻が午後一〇時を過ぎた日が一三日((うち、午後一一時を過ぎた日が六日、午前零時を過ぎた日が三日))あり、また、取調べ時間が一日一〇時間を超えた日が一三日((うち、一二時間を超えた日が二日、一三時間を超えた日が四日、一四時間を超えた日が一日、一五時間を超えた日が一日、一六時間を超えた日が一日))あり、その取調べの方法は、前記本件殺人による逮捕前の取調べとともに、被疑者の人権を無視した極めて不当なものであつたといわざるをえない。)

よつて、主文のとおり決定する。

(瀧川義道 伊藤紘基 佐々木洋一)

別表(一)

番号

作成者

作成日

(昭和五七年)

立証趣旨

取調場所

1

司法警察員

九月一四日

不利益事実の承認(供述の変遷)

旭川警察署

2

右同

九月一七日

身上経歴等

右同

3

右同

九月二三日

犯行に至る経緯

右同

4

右同

九月二四日

犯行に至る経緯、犯行状況

右同

5

右同

九月二六日

犯行に至る経緯、

昭和五六年一一月三日藤井三郎から

横領の発覚を知らされたこと、

犯行に使用した兇器の入手状況

右同

6

右同

九月二七日

犯行後の状況など

右同

7

右同

右同

犯行に至る経緯

右同

8

右同

九月二八日

右同

右同

9

右同

右同

犯行状況、犯行場所等の状況

右同

10

右同

九月二九日

刃物を投棄した場所の特定

及びその状況

右同

11

右同

右同

犯行時の着衣、犯行後着替えた着衣

右同

12

右同

一〇月四日

犯行状況及びその前後の状況、

引当り状況

右同

13

右同

一〇月二日

被告人のズック靴

右同

14

右同

一〇月七日

被告人の靴

右同

15

検察官

九月二五日

犯行の概要

右同

16

右同

一〇月二日、

三日

犯行に至る経緯、犯行状況

旭川地方

検察庁

17

右同

一〇月二日、

四日

犯行後の逃走状況、

刃物を投棄したこと

右同

18

右同

一〇月五日

犯行後の行動状況

右同

19

右同

一〇月六日

犯行時の着衣等の処分状況

右同

20

右同

右同

犯行時の着衣、犯行直後着替えた着衣

右同

21

右同

一〇月七日

犯行時履いていたズック靴など

右同

22

右同

右同

窃取したアドレス帳の特定など

右同

23

右同

右同

犯行時に使用した刃物の特定

及び入手状況

右同

24

右同

右同

犯行時着用した手袋の特定

右同

別表(二)

番号

標目

作成者

作成日

(昭和五七年)

立証趣旨

1

実況見分調書

司法

警察員

一〇月二日

犯行状況及びその前後の状況・

犯行場所等の特定及びその状況

2

「凶器投棄現場引当報告」

と題する書面

右同

九月二八日

犯行に使用した凶器を投棄した

場所の特定及びその状況

3

実況見分調書

右同

一〇月六日

犯行後の逃走経路の特定

及びその状況

4

実況見分調書

右同

右同

被告人が着衣など処分に

使用した焼却炉の状況

別表(三)

取調状況一覧表

取調べ日昭和五七年

取調べのための

出房時刻

取調べ終了後の

入房時刻

取調べ時間

取調べ官

備考

九月一五日

午前一一時五分

午後 三時五八分

四時間五三分

九月一六日

午後 三時一五分

午後 六時一五分

三時間

午後三時一七分

本件殺人により

旭川警察署内で逮捕され、

午後三時四〇分一旦入房し、

午後三時四一分再び出房

九月一七日

午前 九時三〇分

午後 七時一〇分

九時間四〇分

九月一八日

午前 九時八分

午後 一時四〇分

四時間三二分

身柄送検・勾留

午後 四時三分

午後一一時五六分

七時間五三分

九月一九日

午前一〇時一五分

午後一一時二〇分

一三時間五分

九月二〇日

午前 七時二〇分

午後一一時三〇分

一六時間一〇分

九月二一日

午前 八時四五分

午後一一時三五分

一四時間五〇分

九月二二日

午前 八時五〇分

午後 二時

一〇時間一五分

午後 六時一〇分

午後一一時一五分

九月二三日

午後 一時三五分

午後一〇時四五分

九時間一〇分

九月二四日

午前 九時四四分

午後 三時

五時間一六分

午後 五時五五分

午後 九時二〇分

三時間二五分

九月二五日

午前一〇時三〇分

午前一一時五九分

九時間二分

午後五時四一分

~午後五時五六分

弁護人接見

午後 一時一五分

午後 五時四一分

午後 六時一〇分

午後 九時一七分

九月二六日

午前一一時

午後 九時五分

一〇時間五分

九月二七日

午前 八時五八分

午後一〇時四五分

一三時間四七分

九月二八日

午前 八時五〇分

午前 九時二〇分

三〇分

実況見分立会い

午前一〇時

午後 四時三四分

七時間 九分

午後五時三九分

~午後五時五四分

弁護人接見

午後 七時五分

午後 七時四〇分

午後 七時四五分

九月二九日

午前 零時一五分

四時間三〇分

実況見分立会い

九月二九日

午前 九時五五分

午後 四時

六時間 五分

九月三〇日

午後一二時三五分

午後 八時四五分

八時間一〇分

一〇月一日

午後 一時二〇分

午後 四時三〇分

三時間一〇分

午後 八時一五分

午後一〇時四五分

二時間三〇分

一〇月二日

午前 九時一五分

午前一一時

一時間四五分

午後 一時一五分

午後 九時五五分

八時間四〇分

一〇月三日

午前 八時四〇分

午後 五時二五分

八時間四五分

実況見分立会い

午後 五時五四分

一〇月四日

午前 零時二五分

六時間三一分

一〇月四日

午前一〇時八分

午後 三時三二分

五時間二四分

午後 四時三五分

午後 五時一五分

四〇分

午後五時一五分

~午後五時三〇分

弁護人接見

午後 五時四五分

午後一〇時二七分

四時間四二分

一〇月五日

午前九 時三〇分

午後零時一〇分

一三時間四〇分

午後 一時一〇分

午後 五時二五分

午後 六時

一〇月六日

午前 零時四五分

一〇月六日

午前 八時三五分

午前 九時二四分

四九分

午前 九時三〇分

午後 零時五分

一二時間三五分

午後 一時

午後 五時五分

午後 五時五〇分

午後一一時四五分

一〇月七日

午前 八時四三分

午前 九時三〇分

四七分

午前 九時三〇分

午後 零時二〇分

七時間四五分

午後 一時二〇分

午後 五時三〇分

午後 八時一五分

午後 九時

(注)

1 取調べ時間には、留置場の監房と取調べ室の間の往復に要する時間も含む。

2 取調べ官欄の「○」印は、当該印のある取調べ官が取調べたということを意味するが、印がないのは、

取調べがなかつた場合と取調べの有無が確定できない場合の双方を意味する。

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